アスレティックトレーナー 関上寅之輔のブログ

スポーツ・健康・心と身体のコト

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会話の際に意識していること【SSC】

SSCと聞くと、

運動やスポーツに係っている方が最初に頭に思い浮かぶのは、

stretch shortening cycle(伸張反射)でしょうか。

このSSCは、

大脳を経由せずに行われる反射運動の神経パターンを指し、

伸ばされた筋肉がちぎれないようにオートマティックに収縮させるために必要な安全装置の役割と、

日常生活からスポーツ動作までほとんどすべての動作の起点となり働く重要な神経システムです。

スポーツや運動を語るうえで必要不可欠な言葉ですが、

今回はそれとは違うSSCを紹介したいと思います。


今回タイトルにつけたSSCは、

【Simple・Short・Clear】の頭をとったSSCのことで、

最近会話や、コミュニケーションをを行う際に気を付けている事です。

日本語では【簡単・短い・分かりやすい】って感じでしょうか?


簡単な短い言葉で分かり易く伝える。

という意味で使っています。


相手に自分の考えを伝えるときに、

十分に伝えようと思うあまり、


沢山の情報を沢山の言葉を使ってつたえようとしてしまうケースがありますが、

そのようなケースを卓球でたとえるならば、

相手から返球が来るまでに長い時間がかかってしまい、

限られた時間でラリーの回数が短くなってしまいます。


SSCを上手に利用することでラリーの回数が増え、

実は丁寧にながながと自分の考えを伝えるよりも、

ラリーの回数を多くした方が相手に伝えることができたりします。


A○○○○!

Bそれってこういうこと?

Aいや、○○だよ!

Bそれってこういうこと?

Aいや、○○だって!

Bああこういうことか!

Aだから○○ってこと!

Bなるほどね!

となるのではないでしょうか。


A○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○...。

B...

A○○○○○○○○○○○○○○...

B...

A○○○...

これでは話が前に進みません。


さらに言うと、

知的で生産的なコミュニケーションは相手が(この場合はB)なにを欲しているかを感じ取ることだと私は考えているので、
※参考記事【知的な人への憧れ】

Bからのリターンが多ければ多いほど有意義なコミュニケーションとなる可能性が高くなります。


さらに会話がどんどん進むのでより生産的です。

そして本来の目的でない方に話が脱線することも防ぎやすい。

私は本当に話を脱線させてしまいます(笑)


何の話してたんだっけ?

となってしまうのが一番非効率です。


SSCを意識した会話では、

言葉が短くなるので、

相手が何を考えているのか、

相手がどの単語を使うことで明白に理解ができるのか。

そもそも相手は何を求めているのか。

というように相手を想像する必要があり、

より高度な会話のテクニックですが、

私が思う〝すごい人たち”はみんなこれが出来ているように感じています。




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| ことばあそび | 04:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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保険証→免許証 


『情けは人の為ならず』という言葉は、

情けをかけて相手を助けることは結局相手のためにならないから、

厳しく接した方が良い。

という意味だと思っていました。


本来の意味は、

『人に情けをかけるのは、その人のためになるばかりではなく、やがては巡って自分に返ってくる。人には親切にせよという教え(故事ことわざ辞典/引用)』

という事だそうです。



もう5年も前になりますが、

神奈川に引っ越してきた一年目に、

歯医者に行った帰り道で保険証をなくしたことがあります。

「うわー再発行面倒だな」

と思いながら再発行の方法を自宅のPCで調べていると、

玄関のチャイムが鳴りました。


新聞の勧誘か何かかと疑いながら、

インターホンのモニターを見ると、

女性の方と、

手をつないだ幼稚園くらいの女の子が立っていました。


玄関を開けると、

わざわざ娘さんと一緒に、

道に落ちていた保険証を一駅分くらい歩いて、

住所まで届けに来てくれたそうです。



突然の出来事だったので、

お礼を言うだけになってしまい、

玄関の扉を閉めた後思い立って追いかけましたが、

見失ってしまいました。

名前くらい聞いてお礼をすればよかったと後悔しています。



そして今回自宅の最寄駅付近で誰かのお財布を拾いました。

最寄駅に交番が見つからなかったので、

拾った財布に入っていた免許証の住所の駅の交番に届けてきました。

仕事帰りに通る駅だったので都合が良かったのもありますが(笑)






自分が気がつけないだけで、

こんなことが沢山起きているのだと感じます。

そんな世界で生きているということを意識して生活していくことが大切なのかなと感じました。


| ことばあそび | 14:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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今の段階では無罪




当たり前ですが人間のいない世界に善も悪もありません。

以前の記事でも少し触れましたが、

人間が認識する現実と、

純粋な意味での真実というのには誤差のようなものがあると考えています。

善悪というのは人間の認識する現実の中にのみ存在し、

純粋な意味での真実となることはあり得ないのだと私は感じています。



対して、

人間の世界には善悪という概念が存在します。

それにより罪という概念も存在するのだと思います。


そもそも人間のいない世界に存在しないはずの『罪』という概念を形作っているものが、

いわゆる司法であると思います。


人間が決めた法という一定のルールにあてはめて、

可か否かを決定する。

それが司法※①であるわけです。


法が確定されたもの【明文化された変化を伴わないもの。文章。】であるのに対し、

現実に発生している事象は無限ですので、

法の下、

司法により宣言するわけです。

「それは罪ですよ!」と。


乱暴な言い方をすれば、

AさんとBさんが司法により罪を争った際、

司法が「判決は○○です!」という宣言をしたとしても、

その決定は多くの場合、

AさんとBさんの妥協により決定するという事です。


罪が絶対的な物ではなく、

相対的なものでもあるという事を認識したうえで話をする必要があります。



ごちゃごちゃ言いましたが、

罪が確定するまでは中立でいるべきなのではないかという事です。


どちらにしろ容疑者の段階では無罪ということです。

推定無罪ということです。







※①具体的な争訟について、法を適用し宣言する事によりこれを制定する国家作用

| ことばあそび | 15:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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論語と算盤は一致させねばならぬ



「論語と算盤は一致させねばならぬ」

幕末から昭和にかけて活躍した武士で実業家の【渋沢栄一】という方の言葉だそうです。



Facebookの知人のPostで知った言葉です。

渋沢栄一さんについてネットで調べるとすごい人物のようで、

名言と言うか語録がまとまっているページでは非常に感銘を受けました。



「論語と算盤は一致させねばならぬ」

と言う言葉をすこし解説すると、

【論語】=【仁義道徳・正しい道理】

【そろばん】=【利益・ビジネス】

は両立させなければならない。

ということだそうで、

利益だけを追い求めたビジョンの無い経済は、

一時的には利益や効果を生み出したとしても永続することは出来ない。

という意味のようです。


この言葉の本来の意味とは少し違うのかもしれませんが、

トレーナー業界と言いますかフィットネス業界・健康産業について私も似たようなことを考えていました。




経済活動を行うにあたって安定的な利益を発生させることはもちろん必須です。

第一といっても過言ではないでしょうか。

赤字の会社が理想(正しい道理)を掲げたところで社会には貢献できないのだと思います。

貢献しづらいのだと思います。


利益を出すと言うことを考えたときに、

正しい道理(理想)を掲げながら、

そろばん(ビジネス)を行うことはパワーが必要で、

一見非効率に感じてしまうことがあるかもしれません。

利益を出すだけを考えた方がある意味簡単ですが、

そのような経済は、

あるところまでいくと頭打ちし衰退していくのだと思います。


【論語>そろばん】でも、

【論語<そろばん】でも駄目だということです。

両立が必須です。


両立させるのはすごくパワーが必要だと思いますが、

非常に納得させられる言葉でした。




| ことばあそび | 14:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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断言する事でたどり着けるところ②



断言する事でたどり着けるところ

という記事を書きました。


断言をすることは、

間違う可能性を受け入れるという事だと思います。


自分が間違っているかもしれないと考えているのに、

断言をするという事は一見矛盾しているように思えます。


しかし誰もが自分が間違っている可能性を感じているのだと思います。

天動説と地動説の話もそうですし、

光よりも速いものがあるかもしれないって話もそうです。


断言が出来ない人は、

自分が間違っている可能性を感じているゆえに、

断言が出来ないのだと思います。

間違う事へのリスクが頭をよぎるわけです。


しかし、

断言が出来る人は、

自分の考えが真理だと確信しているのではなく、

間違っている可能性については気づいているものの、

断言しているのだと思います。


【断言する事によりたどり着けるところ】を知っているからです。

『間違うリスク』よりも、

『間違わずに正解に気づけないリスク』を排除しようとしているのだと思います。


結局は、

『間違うリスク』と『正解にたどり着けないリスク』どちらの方が大きいかという事を、大局的に考える必要があります。

そして、

『間違うリスク』<『正解にたどり着けないリスク』という式になることの方が意外と多いのだと思います。




こっちの方が良いかも…

というような新たな確信が発生するまでは、

間違う可能性を頭の片隅で考慮しつつ、信じて進み続けるしかないという事です。

間違っていたら正すだけのことです。



| ことばあそび | 18:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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断言する事でたどり着けるところ




『断言』

というか、

『自分の立場を明確し、外部に向かって発信する』

ということは、

自分が成長していくために凄く大切です。



「私の考えはAである!」

と断言する事で、

Aに対する反対意見との意見交換が出来ます。



例えば、

「おまえレッグエクステンションなんて全然実践的じゃ無いぞ!」

なんていう人がいるとして、

その発言に対して反対意見があるひとは意見を言えるわけです。


「う~ん。レッグエクステンションも良いエクササイズだけど、どうなんだろうか・・・うーん」

なんて言っていたら、

なにも始める事が出来ませんし、

周りの人も意見をいえません。

また、

現状の自分の状態が定まっていないのですから、

変化する事も出来ません。

変化とは成長と同義だと思います。



ある意味『断言』することはスタートする事といえます。

人間の行動のスタートは、

「気づき確信する事」だと考えています。


確かに、

今の世の中で『断言』できる絶対の事なんてほとんどありません。


光よりも速いものが見つかった。

なんて話もききます。


しかし、

だからといって【うやむやな立場】にいることは自分の成長を阻害する原因になり得ます。



人は、

断言する事によるリスクから逃れるために、

自分の発言をうやむやにし逃げ道をつくる場合があります。


断言する事により発生するリスク

というのは【自分自身が周りの人に悪い評価される可能性がある】

ということではないでしょうか。



断言というのは、

ある意味『他を排する』という事です。

例えば、

「お前、レッグエクステンションなんかでいくら鍛えても全然実践的じゃないよ!」

という発言は、

レッグエクステンションというエクササイズを否定するものです。


【否定】というのは、

言い方を待ちがえたら、

周りの人に悪い印象を与えます。

「何だあいつ傲慢なやつだな」

さらに、

すべての意味で完全に正しい事というのは本当に少ないですから、

断言した事が間違っていた場合は、

「やーいお前の言っていた事間違ってたぞ!」

という評価を受けます。


【悪い評価を受ける】

ということは社会で生きていく際に致命的なことになりうるので、

どうしても避けてしまいます。






ここで大切なのが、

『断言』を【発信する側】でなく、

まさに【受け取る側】の器量なのだとおもいます。


もちろん発信する側が、

『断言』のしかたに気をつけるのもそうですが、

断言を受け取る側が、

【断言する事】は互いに成長していくために必要な事であると認識して、

ポジティブに受け取る事が必要なのだと思います。

発信する側は、

受け取る側がポジティブに受け取ってくれる事を信頼して、

断言をするべきです。



それってものすごくハイレベルなコミュニケーションだと思うのです。



そんなことを繰り返していく事でしか、

たどり着つけない結論というのがあるのだと思います。

さらに言うと、

そのたどりついた結論を、

さらにアップデートするためには、

やはり、

上記のようなハイレベルなコミュニケーションが必要なのだと考えています。

要は信頼関係ということです。








「歯に衣着せぬ物言い」という言葉があります。

『相手の感情や思惑を気にせず思ったままに言う』

という意味です。


よく言えば、

長いものに巻かれるのではなく、

自分の考えを主張する。

ということ。



また、

ある意味『空気を読めない』という事なので、

その場の空気を悪くするという意味で使われますが、

例えば町を牛耳る悪代官に対して、

町民は何も言えないという状況で、

『お前マジで悪どいな!みんな迷惑してるぞ!』

なんてセリフを吐いた日には痛快です。


一般に、

出来る人の発言ほど、

【歯に衣着せていない】ように感じるのです。



| ことばあそび | 18:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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父の言葉



先日の富士登山でお気に入りの短パンが破けてしまいました。

s_2011-10-052000_46_18.jpg

右上ポッケ部分

s_2011-10-052000_46_33.jpg

拡大



それを東急ハンズで買ってきた針と糸で修復する深夜1時。


学生時代、

家庭科は5の評価をもらっていました。

なかなかアーティスティックな感じに仕上がったと思うのですがどうでしょうか。




破けた短パンを縫っているとなぜか昔の事や両親の事を思い出しました。


尊敬する人は誰ですか?

という問いに、私は気の利いた回答を持っていません。

近いうちに答えを見つけたいと思うのですが、

まあ、

やはり両親に対しては尊敬の念を抱いているようにかんじます。


以前、父が私に話した言葉があります。

本当に普通の会話で、

別に改まったカッコイイセリフではないのですが、

その言葉が、

社会で活動する上で大切な要素なのではないかと、

最近感じています。



父は手先が器用で、

故障した機械を直したり、

よく日曜大工をしてました。


ある日ラジカセか何かを修理していた父は、

『修理っていうのは道具の良し悪しで8割決まるんだよ』

とわたしに向かって話しました。


『準備が出来ているかどうかで決まるんだよ』と。

【修理の能力の優劣では無い】という話だったと思います。



これはまた別のタイミングで知ったのですが、

宇宙船のボルトはもちろん特注ですが、

ボルトを締める道具も特別に作っているそうです。


機能を追及して、

実際に使うことになった場合、

最高の能力を発揮できるように道具も専用の物をわざわざ用意しておくのだそうです。

もちろん検討に検討を重ね、

一番良いと判断されたものが採用されるわけですから、

実際にボルトを締めるという工程よりも、

ボルトを締める道具を作る準備の方が時間もコストもかかっているんだという事です。


仕事でもそうだと思います。

最高の準備が出来ているのかどうか。

ある意味、

最高の準備を行うことが、

最高の仕事なのだと思います。


そんなことまで考えて、

準備の話を私にしたのかは分かりませんが、

両親から学んだ事というのは大変沢山あるのだと感じています。


ズボンを縫いながら、

なぜかそんなことを思い出し、考えました。


そういえば傷んだ衣類をすぐに捨てないというのも、

両親のマインドを受け継いでいるなぁと。


よく言えばエコ

悪く言えば貧乏性




| ことばあそび | 01:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【呼吸】=【勉強】




Yahooのトップページでこんな質問を見つけました。

「なぜ勉強しなければいけないのか」を子どもにどうやって説明するのが良いのか。


私は、

『やりたいことをやれるようになるため』であると考えていました。

私自身もそうでしたが、

社会に出て初めて気付くことが山のようにありました。

逆に言うと学生のうちにはどうしても気付けないことが沢山あるということだと思います。

何かに気付いて行動しようとしたその時に、

瞬発的に目的に向かって一歩を踏み出せる体勢を整えておく為に、

勉強であったり自分を磨いておく必要があるのだと考えていました。

社会的な(分かりやすい所では給与面など)グレードダウンは簡単だけど、

グレードアップは難しいんだよという説明をすればいいのではないかと考えていました。



そのような考え方も間違ってはいないと今でも思いますが、

インターネット上でその質問に答えた人は次のように答えていました。


---以下一部引用---

まず『まず親自身が見本になることが大切』です。

親が日々勉強して自分の能力に磨きをかければ子供も真似をするでしょう。

子供に「パパやママはなぜ勉強をするの?」と聞かれたときに、

「パパやママはね○○の為に勉強しているんだよ。」

と明確に応えられるような生活をしてください。

きっと子供は親御さんの価値観をそのまま受け継ぐでしょう。


ちなみに個人的には「学問をするのは生きるため」だと思います。


---※①---


学問をするのは生きるためであると私も納得しました。

【生きる】=【学ぶ】

という事は納得です。

という事は、

重要性ということで考えれば、

【呼吸】=【学ぶ】

でもおおげさじゃないかもしれないです。


さらに私は、

『どのように説明し理解を得るか』

を考えていましたが、

ネット上の回答者の方は、

『どのようにして子供に学ぶ事を実践してもらうか』

を考えていたように感じました。

この差が凄く大きいのだと思います。





人生死ぬまで勉強なんて口では言いますが、

学び続けることが生きることなのだと納得させてもらいました。

※①/引用元URL



s_2011-09-272014_33_06 - コピー

私も学び続けます。

髭がめちゃめちゃ濃いです。




| ことばあそび | 23:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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井の中の蛙大海に気付かず



【井の中の蛙大海を知らず】

意味として、

【自分の狭い知識や考えにとらわれて、他の広い世界のあることを知らないで得々としているさま】

とのことです。



この言葉は、

無知を「たしなめる」というか、

少々「馬鹿にする」という意味で使うような印象を持っています。


「おまえは所詮、井戸の中の蛙なんだよ。」と。



また、

井戸の中の蛙に対して、

「海」の話をしても全く通じない(聞く耳を持たない。理解できない)から、

自分の無知を認識できていない井戸の中の蛙には、

海について話をしても意味がない。

という意味もあるようです。※①




ちなみにこの言葉のもとになったのは中国の話で、

登場人物は井戸に住む蛙と、

海にすむ亀だという話も聞きました。※①




この言葉は真理をついた非常に良い言葉だと思いますが、

なにかネガティブな言葉のような印象をもちやすい。


【井戸の中しか知らない蛙】と、

【大きな海を知っている亀】が登場し、

無知な蛙を、物知りな亀が馬鹿にするようなイメージ。


要は無知を馬鹿にする言葉のようにも思えます。





ただ、それは違うのだと思います。

海を知っている物知りな亀も、

宇宙については存在自体を知らないのだと思います。

宇宙という事に関して言えば、

【無知な亀】



【物知りな人間】

の構図が出来上がります。



じゃあ宇宙を知っている人間はどうかというと、

人間は宇宙の向こう側を知らないわけで、

宇宙の向こう側を知っている宇宙人がいるとしたら、

【無知な人間】



【物知りな宇宙人】

という構図が出来ます。


ただ、

そのように【上には上がいる】という事を言いたいのでは無いのだと私は思います。



一説にはこの言葉に続きがあるそうです、

【井の中の蛙大海を知らずされど空の青さを知る】※①

井戸の中の蛙には、海や井戸の存在など浅く広い知識は無いが、

ずっと井戸の中から空を見続けたことによって、

井戸の中から見える空の青さを誰よりも知っている。

という意味とのこと。

空の青さについて言えば、

【無知な亀】



【物知りな蛙】

という構図が出来上がるわけです。


海の存在を知っている亀も、

蛙の知っている空の青さを知らないという事です。



要は無知について戒めるのではなく、

【気づく事】の大切さを伝える為の言葉なのだと私は思うのです。


海の存在に気づくことが出来れば、

蛙は井戸を登る努力を始められます。


宇宙の外側があるんじゃないかという発想を持てれば、

机の上で宇宙の外側について物思いにふける事もできるわけです。


人間の全ての始まりは【気づき確信する事】なのだと思います。

そういう意味では、

【井の中の蛙大海を知らず】

ではなく、

【井の中の蛙大海に気づかず】

の方が私にはしっくりくるのです。


だれしもが蛙である可能性があり、

気づくための努力を行い続ける必要があるのだと。


ただ気づくことって本当に難しい。

それこそ【井戸の底】にいる様なものなんだと。


【気づかない】と【気づく】の間には、

何十メートルもの壁(井戸)があるのだと。

そんな風に感じました。








※①【関上調べ】辞書やインターネットを用い調べました。


| ことばあそび | 23:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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現実と真実


【現実】という言葉を辞書で引くと、

『いま目の前に事実として現れている事柄や状態』との表記でした。


対して【真実】という言葉を辞書で引くと、

『うそ偽りのないこと。本当のこと。また、そのさま』

『仏語。絶対の真理。真如』だそうです。



現実と真実の違いは、

"いま目の前に"というところが重要です。

目の前にある。

ということは、

『人が見ている』という事です。


現実というのは結局のところ、

人が認識した何かについて、

感じたり、

考えたりして、

【勝手に意味をつけた何か】

に他なりません。


人がそこにいて初めて【現実】が生まれるわけですね。

人がいない星には【現実】なんてないわけです。

人が理解できるのは【現実】だけだけで、

【真実】は理解できていないんじゃないかと思います。


真実というのはそれこそ神の領域だと思います。

そうすると、

人間(Aさん)対人間(Bさん)で何かを話すときには、

Aさんの現実対Bさんの現実での会話になるのだと思います。

そうすると何が必要なのかというと、

現実という考え方にたいする【納得できる根拠】であります。


データでも推測でも経験則でもなんでもいいので、

納得できる根拠を説明できるのか否かというところが、

自分なりに【現実】と虚実を見極めるポイントかもしれません。


【真実】と虚実を見極めようとするのは、

私にはまだまだレベルが高いのかもしれないです。


自分の理解が及ばない範囲の事柄について、

安易な否定してしまったり、

シャットダウンすることはうまくないです。

自分の可能性も狭めてしまうかもしれません。






| ことばあそび | 23:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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自分なりの結論

最近いろんなラーメン屋さんに行きましたが、

結局一番おいしいかもしれません。

s_2011-07-042016_17_32.jpg

リンガーハットのちゃんぽん500円。



最近私の家の近くの駅にイオンのショッピングモールができたのですが、

そこのフードコートにリンガーハットがありました。

ほかにも、よくある面白い雑貨屋さん(なんていいましたっけ・・・・名前が出てきません)とか、

色々と近場で買い物ができる場所の幅が広がって便利になりました。



便利と省エネってあるいみ相対するものだと思いますが、

震災以降のエネルギー不足問題もなかなか難しいですね。


【便利さ】も、【エネルギー】もあればあるだけ良いのだと思います。

ただ【エネルギー】の場合はそれを生み出す時に発生する【副作用】がいま問題になっているのでしょうか。

例えば火力発電では環境汚染とか化石燃料の枯渇問題など。

原子力発電なら事故が発生した場合のリスクや放射性廃棄物の処理方法。

太陽光発電や水力、地熱、波力発電などの高いコスト。


それらをどうすればいいのか分かりませんが、

私は結構考えています。

素人ながらに(笑)


こんなアイデアはどうかな~とか。

そんな事を一人で考えるのが結構すきなのかもしれません。

ただ暇なんでしょうか(笑)


そういったことを考えていると、

いつも突き当たる壁があります。


『そもそも〇〇ってなんだ?』


という壁です。

例えば『原子力ってなんだ?』

という一言では表せないすごく範囲の大きな事もそうですし、

『福島ってどこだ?』

という名詞に対する定義もそうです。


そのような基本的な知識というか、

ベースとなる部分に対する理解がないと、

どんな事を考えていても【自分なりの結論】まですらたどり着けません。



今テレビのバラエティー番組でもちょうどやっていますが、

『心理学的には〇〇だ』

というような【〇〇に対する根拠】が、

【心理学的には】という浅い根拠の説明のみにとどまっているケースでは、

その【〇〇という結論】に対して考察する事すらできないという事です。


そのようなときいつも感じるのは、

私が今思っている事。

例えば『脂肪燃焼には有酸素運動が良い』という考えや、

『放射線は危険』という考えは、

【私なりの結論】なのか、

【誰かが言っていた結論】なのかということです。

常に考えていないと、

自分の考えが、

どんどん【誰かが言っていた結論】で埋まっていきます。

それってすごくもったいないです。


【誰かが言っていた結論】に沢山の人が安易に流されて、

【誰かが言っていた結論】を支持する人数が多くなり、

【人数が多い】という理由だけで採用される(ある意味民主主義)。

このような流れが良い方向に流れればいいですが、

悪い方向に流れる事も実際にあったわけです。


もしかしたら私の【自分なりの結論】が、

世界を救うかもしれないですしね(笑)





・・・・最後の部分自分で(笑)をつけましたが、

よく考えたら本当にありえます。

現在のネット社会で、

誰かの一人の考えが世界を変えたりする事。

やはり考え続けないとダメですね!




| ことばあそび | 22:19 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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常に変化をともなう安定



【安定】という言葉を辞書で引くと

1 物事が落ち着いていて、激しい変動のないこと。「心の―を保つ」「物価が―する」

2 平衡状態に微小な変化を与えても、もとの状態とのずれがわずかの範囲にとどまること。「―のいい花瓶」

3 物質が容易に分解・反応・崩壊しないこと。「この元素は―している」

という事だそうです。



【変化】という言葉は、

1 ある状態や性質などが他の状態や性質に変わること。「時代の―についていけない」「―に富む生活」「気温が急激に―する」

2 文法で、単語の語形が人称・数・格などに応じて変わること。「動詞の語尾が―する」



一見正反対の言葉のように聞こえますが、

先日テレビでサッカー日本代表のSBの内田選手がこんな事をいっていました。



インタビュアーとの『新しく採用された3・4・3のシステムについてどう考えますか?』

という内容についての話の中で、

内田選手は、

『試合前に11人で肩を組んで写真を撮ると思いますが、

例えば2014年のブラジルワールドカップの時に、今の11人がまったく同じ11人である事はありえない。』

『そう考えると、"今(現在)"のシステムはそれほど重要ではない。』

『常に作り上げた物を壊して、

創りなおしながら変化していく事が大切なこと。』

こんな事を話していました。




ここから先は私見なのですが、

安定ってどんな世界でも必要だと思います。

しかも低く安定するのではなく、

高い水準で安定する事が大切なんだと。


サッカーのナショナルチームで言えば、

現在はスペインがFIFAランクトップですが、

1位のまま安定する事が大切です。

FIFAランキング最下位は『蘭領アンチル』(何処の国なんでしょうか?)だそうですが、

低く安定する事というのは割かし簡単だと思います。



結果として【高い水準で安定】するためには、

過程として【変化をし続ける】ことが必要なんだと。


じゃあ『システム』って何かと考えた時に、

【結果を出すために必要な要素】であると同時に、

長いスパンで考えるほど【固執するほどたいしたものではない】という事かもしれません。


サッカーでも、

仕事でも、

なんでも同じ事がいえるように感じます。


文章がごちゃごちゃしましたが、

とにかく改善改善改善。

変化変化変化。

現在というのはすでに過去のことですから。

現在の事を考察する事は大切ですが、

今現在の事というのは、

『変化のための一つの要素でしかない』

というように考えていかなければならないのかもしれません。








※①携帯にメモしたのですが、その選手が言った言葉を完全にメモできたわけではないので、文責は私にあります。

| ことばあそび | 23:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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有難いということ




昨日の夜スマートフォンのOSをアップロードしました、

やばし!

Android OS 2.3.3やばしですよ!

アップロードめんどくさがっているGALAXYユーザーの方はすぐやった方がいいです!

ヌルヌルですよ画面の動きが、

文字どおりヌルヌルデス



ぬるぬるな携帯をいじっていると、

メモの中に『有難い』とだけ文章が残されていました。


テレビが雑誌か何で見たのかは忘れましたが、

忘れないようにメモしていたのを思い出しました。



誰でも『ありがとう』って言葉を結構使うと思います。

私もよく使いますが、

『ありがとう』って言う言葉をいつもひらがなで認識していました。

私の使っている『ありがとう』はひらがなな訳です。



しかし当たり前ですが、

【ありがとう】=【有難う】と漢字でも表現できます。




【ありがたい】って事は、

【有難い】って事で、

そこに【有る】事が【難しい】って事なですよと。


キンパチ先生みたいな話のくだりになってしまいますが、

自分が【ありがたい】と感じる事は、

当然ですが【当たり前】な事なんかじゃなくて、

【有難い】ことなんですよと。




そんな【有難い】事があった時に、

【有難い】ことに気づけないで、

『ありがとう』と伝えられないのは凄くもったいない。


さらに気づけたとしても、

『ありがとう』っていう"ひらなが"の気持ちで簡単にお礼を伝えるのもかなりもったいない。


【有難い】っていう"漢字"の本質を認識した上で、

『有難う』っていえるようにしていきたいと感じました。




って分かった様な事言ってみたり。

私が【知っているだけ】で、

【認識】出来ている事ってほとんど無いんだなと感じた今日この頃です。






ってまた分かったような事いってみたり(笑)



| ことばあそび | 14:58 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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平均という考え方




以前、

『正しい動作』というものがあるとしたら、

それはどんな動作なのかを考察しました。

参考記事/正しい動き
参考記事/正しい動き②

正しい動きとは、

人間の身体が動作するにあたり一番効率の良い動きである。


さらに、

その具体的な『効率の良い動き』を考える時に必要な要素は大きく二つ考えられ、

一つは【平均的な動きである】という考え方。

もう一つが【効率的だと思われる動きが何故そのような動きになっているのかの仮説】。

この二つを考慮して考える必要があるということでした。





最近、

その内容について新たに考えさせられる出来事がありましたので記事にしたいと思います。


私が勉強させていただいているR-Body Academyの同期受講生で三療師のリッチー(愛称)は、

いわゆる常足や二軸動作といった事を勉強しています。

そんなリッチーに身体操作方法について教えてもらう機会がありました。


そのときの会話の流れで、

【平均的な動作】について話をしました。


私は平均的な動作がある意味人間の動作の基準になると考えていましたが、

リッチーは次のような見解を持っていました。



例えばA君からJ君まで10人の人間が住んでいる星があるとします。

その10人の運動能力(動作の能力)を能力の高い順に点数をつけた時に以下のようになるとします。

A君10点

B君6点

C君6点

D君5点

E君5点

F君5点

G君4点

H君4点

I君4点

J君1点


この場合、平均点で言えば5.1点という事になります。

正しい動作が【平均的な動作】であるという考え方を単純にはめ込むと、

平均的な動作である5.1点の動作=【正しい動き】

という式が出来上がってしまいます。


J君が「運動能力を上げたい」と考えていた時に、

トレーナーが「Jさんは正しい動きが出来ていないから、運動能力が低いんです。正しい動きを手に入れましょう!」

といって、5.1点の動作を教えることになってしまいます。


教科書に書いてある参考可動域(関節の動く幅)や、

平均的な骨格の位置が、

【平均的で、多くの健常者がそうである】という根拠のもと決められている事である以上、

10点の運動能力をもつA君の動作や身体の特徴が、

もしも素晴らしく良いものだったとしても、

平均から逸脱しているという理由で採用されないという事が起こりえます。


例えば、

多くの教科書には『足の親指の付け根(母子球)に体重をかけるイメージ』について言及されています。

※歩行動作時など、踵→小子球→母子球の順に接地する際、見た目には歩行の立脚相の最終域で母子球が接地しているように見えるが実際に体重をかける必要は無いという考えもあります。

しかし常足について考えている方たちには、

『足の小指側に体重をかけて前に進むべき』という考え方があります。


そのような考え方が今後どのような立場になっていくかはわかりませんが、

少なくとも少し前まで正しいと言われていたオーソドックスな考え方ではないです。



【5.1点の動きを指導する】ではなく、

【10点の動きを考える】というメンタリティには非常に共感します。



正しい動き。

最も効率的な動き。

人間のあるべき姿。


という事を考えた時、

平均という考え方だけでは語れません。


こんな事を考えたり、

常にこんな事を考えている方と話をすることは、

すごく楽しいです(笑)






| ことばあそび | 23:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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環境が人を育てる② 日米韓の場合






毎朝覚めると、

まずテレビをつけます。

朝のニュースを確認しますが、

その日は子供を持つ女性芸能人3人が話をするという番組を見ました。

誰が出ていたか忘れましたが、

その話題の中で面白い話を聞きました。


子供の教育についての話をしていたようですが、

三人のうちの外国出身の二人が、

教育を母国でするのかしないのか。

母国と日本の教育の違いなどについて話していました。


その内容が出演していた方個人の考えなのか、

俗説なのかは分かりませんが以下のような内容でした。




日米韓の子供に対する教育にはそれぞれ異なった特徴がある。


日本【周りの人に迷惑をかけてはいけません】

アメリカ【周りの人の役に立つ人間になりなさい】

韓国【周りの人間に勝ちなさい】


どうでしょうか。



日本の『周りの人に迷惑をかけてはいけません』

という特長には、少し納得させられます。

"いけません"という表現自体が日本人らしいような気がします。


また、

上記の日米韓の特徴を見ると日本と韓国の特徴が、

アメリカに比べて一見よい特徴ではないように見えます。

逆に言うと日本の特徴を馬鹿にされているようにも見えますが、

自国を悪く言われているのに、

それでも納得してしまう自分が、

やはり日本人気質のように感じます。

自虐的というか。



アメリカの『周りの人の役に立つ人間になりなさい。』

というのは個人的にあんまりピンときません。

が、

確かにハリウッド映画には他人のための自己犠牲が良しとされる美徳(隕石が地球に衝突しそうになるやつとか、豪華客船が流氷にあたって沈没しちゃうやつとか)があるように感じます。

そもそも「人の役にたっている自分に酔う」というイメージがあるのかもしれません。

これは個人的で根拠のない意見ですが(笑)



韓国の『周りの人間に勝ちなさい』

というのは、

韓国社会での大学受験に対する重要度の高さなどをテレビで見たりすると、

確かにそうなのかなと納得するところもあります。

実際この話をしていた女性芸能人は韓国出身の方で、

自分もそう思うと発言していました。




国の教育方針や、

社会の風潮などで国民性が決定しているのだとしたら、

やはり自分の身をおく環境という事の重要度はものすごく高いように感じます。








| ことばあそび | 19:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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環境が人を育てる





出来るだけ毎日ブログを更新したいと考えていますが、

昨日は出来ませんでした。

ポケットワイファイを、

文字通りズボンのポケットにいれたまま洗濯してしまったために、

PCをネットにつなぐ事が出来ませんでした。

なにか洗濯機からゴロゴロ音が聞こえるなと思い、

ハッとして調べると、

やはりポケットワイファイが出てきました。

ショックで落ち込みましたが、

気を取り直して改めて洗濯機をまわしました。

なぜかまだゴロゴロ音がします。

再度洗濯機の中を確認すると、

なんとテレビのリモコンが出てきました。

リモコンにいたっては何かがなんだか分かりません。

Kimimaroさんの教訓を活かせませでした。

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前回の記事参考記事/牛丼屋さんの法則にもありますが、

都会の方と田舎にすんでいる方では、

都会で出会う方のほうが『冷たい』や『周りに無関心』な傾向が強いのではないでしょうか。

テレビ番組などのメディアからも時々そのような話を聞きます。



そのような違いがもしもあるとしたら、

同じ人間なのに何故そのような違いが発生するのでしょうか。


違いが発生する要因の一つに、

環境の違いが関係しているのではないかと考えています。


例えば、

私の田舎の群馬の村では、

道を歩いていてもほとんど人に出会いません。

特に午後6時以降なんて誰にも出会いません(笑)

まれにすれ違っても顔見知りだったりするので、

すれ違ったら「こんにちは!」って挨拶することが普通で、

無視する事は不自然です。



一方都会に出てくると、

道路には人が溢れ、

新宿駅などでは一秒に100人位の人とすれ違います。

すれ違う一人一人に挨拶していたら不自然極まりなく、

挨拶している人なんて見た事がありません。


新宿の裏通りなどで、

一対一ですれ違った時にも挨拶しません。

新宿で知らない人に挨拶するのは不自然な事でしょう。



自分のいる環境によって、

『自然な事』

と、

『不自然な事』

がオートマチックに決定しているという事ではないでしょうか。





【環境が人を育てる】

という言葉を聞いたことがあります。


例えば、

ダイエットで、

『夜10時以降食べない』

と決めてた事が守れないケースがあると思います。

それは、

『夜10時以降に食べる』

という事が自然で、

『夜10時以降に食べない』

ということが不自然な環境だから、

不自然な事を自然に出来ないということが、

『夜10時以降に食べない』という目標を達成できない要因の一つなのだと思います。


『当たり前の事を当たり前にやる事は難しい』

なんて言葉も聞きますが、

一般的に当たり前のことが『不自然』な環境にいると、

いくら一般的には当たり前でも『自然』には行えない。

という事ではないでしょうか。


世界中の誰もが夜10時以降に食べないような惑星に住んでいたり、

10時以降に食べないように支えてくれる人がいる環境であれば、

『10時以降に食べない』ことが自然な事になり、

自然と『10時以降に食べない』という目標が達成できるのかもしれません。



仕事などもそうです。

自分の周りに、

ポジティブで、

モチベーションに溢れ、

つねに自己や自己の周囲の人を高めようとしている人がいるような環境であることが、

すばらしい成長と成果を上げるための要因なのだと思います。


自分の理想や目標があったとして、

それを実現するためには、

環境がすごく大切だと思います。


不自然を「あたりまえ」に変える環境が必要なのだと。


「そんな事出来っこないよ」

とか、

「新宿で知らない人に挨拶するとかありえない」

っていう常識は、

結局そこに集まった人間が作る環境の中の常識であって、

違う環境では、

「出来るよ!応援するよ!」

って言う考えが当たり前だったり、

新宿で100人に挨拶だってやろうと思えば出来るわけです。


自分が身を置く環境ってものすごく重要だと改めて考えました。






| ことばあそび | 23:50 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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神様はいないのか



一人暮らしをしていて、

良く利用するのが駅前のお弁当屋さん。

結構遅くまでやっていてありがたいです。


ご飯はあったかいほうがいいので、

家に帰ってからもう一度チンして、

へやにもって行く時に、

部屋の入り口のドアにお弁当の角が引っかかってどーん。

から揚げがポーン。

散弾銃の弾丸のように飛び散るお米達。





神様はいないのか。





カーペットに飛び散ったお米を拾いながら感じました。







『神は細部に宿る』という言葉があります。

God is in the details

なにやらオシャレな響きなので気になっていました。



結構有名な言葉ですが、

なにが語源となったのかネットで調べてみると、

建築家の方の言葉であるとか、

聖書からの出典であるとか、

詳細は分かりませんでした。



意味としては、

例えばすごく美しい建物があったとしても、

雨漏りとかひび割れとか細かい欠陥があったら完全とはいえない。

という事であったり、

そもそも全体が美しい建築物は優れたディティールをもっているものである。

ということのようです。



あとは、

例えば建築家が設計を行う際に、

「人がみて分からなくても、自分で分かるような手抜きをするなよ?」

という戒めの言葉で利用されたりもするようです。




例えばすごく美しい自然の景色などをわたしは見た事があります。

すごく晴れた日の空とか、

実家の庭から見える谷川岳とか。

テレビの番組や写真などでも見ます。

例えば『グランドキャニオン』とか。



映像で見るだけでも神々しいグランドキャニオンを、

人が作るのは現実的ではありません。

そう考えるとグランドキャニオンは神様の建築物といってもいいでしょう。

神様の作品は人には作れません。



しかし、

人間の作った建築物にも神がかった美しさを感じることがあります。

例えば『サグラダファミリア』とか。


なにが言いたいかというと、

ものを作り出す過程に携わる人が、

「自分に分かるような手抜き」をした作品。

見る人が見ないと分からないようなディティールを妥協した作品には、

たとえ全体的な見た目が整っていたとしても、

神がかった美しさは宿らないんじゃないでしょうか。


細部にこそ全力を傾けることで全体が作られ、

その完成度が高くなるのだと思います。



そもそも神様の領域レベルの実力が伴っている人が、

「自分に分かる手抜き」をしないで作った時に神がかるのか。


「自分に分かる手抜き」をしないでやり続けた人が、

神様の領域の実力を手に入れるのかは分かりませんが、


私も「自分に分かる手抜き」をしないように意識して仕事をしていきたいと思います。


例えばお客様のトレーニングのフォームが不完全だと感じた時に、

その場をやり過ごすためだけに妥協することをしないように。


神さまとか大げさな話になりましたが、

プロフェッショナルってそういうことだと思います。






| ことばあそび | 20:03 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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知的な人への憧れ



会話をすることで、

この人は知的な人だなと感じることがあります。。



そんな知的な人に凄くあこがれます。

「この人、知的だなっ」って感じる方が私の周りには沢山いますが、

具体的に知的だと感じる時ってどんな時でしょうか。



莫大な知識を持っている博識な人でしょうか。

そうでしょう!

何でも知ってる人は知的です。


私の尊敬する人のなかにも。

この世のすべてを解き明かしたかのような人がいます。

私のすべての質問に答える引き出しを持ち、

次から次へと私の知らない知識をアウトプットしてくれる方。

例えば私が「〇〇」というキーワードを口にすると、

「ああ〇〇ね!それは・・・・」

というように、その人が知らないことはありません。

そのような人は当然知的ですね。

憧れの存在です。





ちなみに、

『知的』という言葉を辞書で引くと、

知識と知性の豊かなさまとあります。

知識というのは分かります。

上述した内容が知識といえるでしょう。



しかし、

知性ってなんでしょうか。


『知性』という言葉を辞書で引くと

1 物事を知り、考え、判断する能力。人間の、知的作用を営む能力。
2 比較・抽象・概念化・判断・推理などの機能によって、感覚的所与を認識にまでつくりあげる精神的能力。


とあります。



ここなんです!!

会話などのコミュニケーションから、

"私が"知的さを感じる人は、

知性が優れている人なんです。

知識も大切ですが、

知識<知性

ということでは無いかと推察します。



例えばAさんとBさんの会話があったとします。


Aさん「ダイエットが上手くいかないんだ・・・」

Bさん「上手くいかない原因で、なにか思い当たるふしはある?」

A「毎朝ウォーキングしようと決めたんだけど、なかなか継続出来なくて・・・」

★ここでBさんは考えます。《ウォーキングより食事内容を改善した方が効率がいいし、Aさんのためになるな!》

B「そうなんだー、でも運動よりも食事制限をした方が効率いいと思うよ!」

A「うーんでも食事じゃなくて運動でダイエットしたいんだよ」

B「最新の研究ではダイエットは食事のコントロールで行なった方が効率がいい※①と言われているよ!食事を見直そうよ!」

A「そうか~・・・・」



上記の会話で、

Bさんは最新の研究結果などの知識があり、

それをAさんにしっかり説明していますが、

どこかAさんとBさんの間にギャップを感じ、

上手くコミュニケーションが成立していないように感じます。


そのギャップの原因は何かと考えると、

Bさんは一見Aさんと会話をしているようで、

実際は自分で勝手に思い込んで言葉を発している状態になってしまっているという事だと考えます。


そのような状態になると、

Aさんは会話にギャップを感じます。

しかし、

Bさんは自分で勝手に思い込んだ内容に対して、

自分で思い込んだ言葉を発しているので、

ギャップを感じません。

Aさんに対して「いいアドバイスが出来た」とさえ感じてしまいます。


このケースのような二人の意識の差が、

会話やコミュニケーションを、

より良い終着点に到達させられない原因になっているように感じます。




知的な人というのは、

相手の言葉や、

意図するところを、

しっかりと聴き理解できる人だと考えます。


それはまさに、

物事を知り、考え、理解する能力。

感覚的所作を認識にまで作り上げる能力ということです。



コミュニケーションの一番最初に、

物事を適切に理解するという事が上手く出来ない人は、

どんどんおかしな方向に進んでいってしまいます。



話の途中で、

「なにか話がかみ合わないなー」

と感じることが出来ればまだ良いのだと思います。

最悪なのは、おかしな方向に進んでいることにも気づけない上記のBさんのようなパターン。



知的なコミュニケーションを行うための第一歩は、

膨大な知識を保有することでも、

上手に伝える技術でもなく、

相手の言葉をしっかりと聴く「傾聴」から、

的確な認識を作り出せる能力なのではないでしょうか。




上司が部下に出した指示を、

一発で完璧に理解し行動できる部下は知的だと思います。

そして

何度も何度も説明しないと意図を理解できない部下は知的とはいえません。

さらに、

上司の指示に対し、

自分で勝手に思い込んで間違った認識のまま行動し、

謎のゴールまで突き進んだうえ、

「いい仕事をした」と自己完結する部下は愚昧ということでしょうか。






※①話を分かり易くするための例で、一概に「ダイエットは食事コントロールの方が効率がいい」ということではありません。

| ことばあそび | 23:12 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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テレビで流れる情報はその時々の世間のトレンドにどうしても影響を受け易い


被災地復興についての問題は勿論重要です。

しかしどうしても気になってしまうのが、

福島の原発の問題。

今後のエネルギー問題。


ゴールデンタイムにこそ特番は姿を消しましたが、

報道番組などでは、

原発関連の討論や批判合戦が依然として行われています。


テレビでは、

原発の即刻停止を求めるのデモが流されたり、

今回の原発事故の悲惨な状況が流れたり、

事故の影響を受けて非常に厳しい状況に置かれている、

現地の皆さんの怒りや悲しみの訴えが流れたり、

チェルノブイリの事故の経緯が流されたり、

「シーベルト」「セシウム」「放射性ヨウ素」「高濃度汚染水」「被ばく」「内部被ばく」「レベル7」「放射性廃棄物」聞きなれない単語で、それが何なのかすら分らないものの名前だけが次から次へと頭の中にインプットされていきます。


はっきりいって今の時点で分かっていることは、

「なんかやばい」

ということだけです。

すくなくとも私はの場合はそうです。


「今後さらになんかやばい感じになっていきそう」

という不安だけです。



例えばこのタイミングで、

原子力発電に対してポジティブな意見をテレビという圧倒的なメディアで、

世間に対して発信することはどうしても出来ないのではないかと思います。

どのチャンネルと見ても、

放送している内容や専門家の発言は大体同じようなものになっているように感じてしまいます。

それは、みんなが同じ考えなのか、

あるいは当たり障りのない発言をせざるおえないのか、

どちらにしろテレビという圧倒的なメディアの威力は劇的に強力で、

テレビで政府が批判されている状況が流れれば、

みんな政府に不安感をもつし、

「シーベルト」がやばいって流れれば、

何だかわからないけどやばい気持ちになります。



もしもテレビがなんらかの制約や配慮のもと放送を行っているのだとしたら、

テレビ以外のメディアを通じた情報収集をすることは、

結構有意義なのではないでしょうか。




正しいとか正しくないとか話ではないですが、

私はツイッターやネットなどで、以下の皆さんを知りました。

大前研一氏

池田信夫氏

猪瀬直樹氏




| ことばあそび | 22:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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我が家のインターネット事情と時間感覚



五月になりました。

四月はそんなに忙しくなかったものの、

時間がはやく過ぎたように感じます。


小学生の頃、

学校からの帰り道のみちくさしている時間は、

永遠に続くんじゃないかと思うくらい、

長く感じていたのを思い出しました。


時間感覚には代謝が関係している。※①

という話をテレビなどで聞いたりしますが、

ほんとに不思議ですね。


今日の帰りには、

アルバイト先の先輩とご飯を食べに行きました。

トレーニングの事や仕事について二人で話をしましたが、

めっちゃ楽しかったです。


特にトレーニングについての話を何時間もするということは、

少なくとも半年以上していませんでした。

そういう話題について「話が出来る人」と、

「話ができるタイミング」って本当にすくないです。

時間がはやく感じました。


楽しいという感情と、

退屈であったり、苦痛という感情で、

時間の長さが違うように感じるのはなんなのでしょうか。


時計をずっと見続けると時間が長く感じるのも謎です。

時計を意識せず、例えばパソコンに集中すると時間が速くかんじるのも謎です。

しかし、例えば10分で何か沢山の事をしなければならないという時に、

時計を気にしていると、時計を意識しているのに凄く時間が短く感じます。


脳の物事を処理する能力がフルに使われているときは時間を速く感じて、

その処理能力が少ししか使われていないとき(例えばただ時計を見続けるなど)には時間を遅く感じるということでしょうか。

それは、時間を速く感じる=「あたまを使っている状態」=集中状態。

時間を遅く感じる=「あたまを使っていない状態」=散漫状態。

ということでしょうか。


かわいい女性と話をしているときはいろんなことを考えているから集中状態で、

熱湯風呂に入れられたときは、思考じゃなく熱いという感覚が優先されるから散漫状態、

なんてこじつけられるでしょうか。


だから時間が早く感じるのは有意義である。

というオチにつなげようと思っていましたが、

いまこのブログを書いているときも凄く時間が早く感じました。

となると、

集中=有意義という式は出来上がらないですね。

この記事の内容について集中して考えることが有意義とは思えない(笑)

時間の無駄使いといわれても否定できません。


結局、集中する内容や考える内容の方向性が重要ということでしょうか。









記事の題名のインターネット環境についてですが、

我が家でもWiFiが使えるようになり、

ブログ更新が快適になりました!

スマートフォンも快適!



| ことばあそび | 23:31 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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Enjoy the Different





最近色々な人との出会いがあります。

私はスポーツやフィットネスの業界で働いていますが、

同じような業界で働く大先輩をはじめ、

自分よりも若い世代の後輩も出てきました。



皆さんから学ばせてて頂くことが本当に多く、

私の気がつけない点について指摘をしていただいたり、

皆さんの立居振舞を見て日々勉強しています。




特に最近は、

大手フィットネスクラブをはじめとする、

フィットネス産業に関わらせて頂く機会に恵まれ、

沢山の方とお話をさせていただきました。


私は今まで、どちらかと言えば、

病院などメディカルな現場や、

競技スポーツのアスリートに関わる事が多く、

フィットネスの王道的な現場で働く事で新しく気づく事が多くあります。


私自身の考えでは、

メディカルな現場も、

競技スポーツの現場も、

フィットネスの現場も、

トレーナーとして働く根本は同じだと思っていました。

今でもそうだと思っていますが、

各現場で働く方たちに、

考え方の特徴のようなものがあるようにかんじ、

その点で上記3つの現場が、

“現状では”別々なものになってしまっているように感じます。






うーん。

ただモヤモヤとした考えを書き込んだだけで生産性がある内容にはなりませんでしたが、

こういったモヤモヤを『一発で吹き飛ばせるアイデアがないかなぁ』と、

いつも考えてしまう癖があります。


そういう事を考えるのも良い事だと思いますが、

結局、

自分でコントロールできる範囲の事については最大限やる。

っていうことにつきるかもしれません。

それをやりつづけることが、

いつか変化に繋がるということでしょうか。



あとは、

個人対個人や、

組織対組織、

何でもそうですが、

それらに必ずある違いを楽しもうというマインドを持ち続けていきます。









| ことばあそび | 23:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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自己紹介と日本人の美徳


前職を退職し約半年、

すでに一年くらいたった気がしてならない関上です。




生活で変化したことは色々ありますが、

その変化の一つに自己紹介をするケースが増えたということがあります。


いや、

自己紹介は以前から今と同じくらいの頻度で行っていたが、

自己紹介の重要性があがったということでしょうか。




今までは、

自分が何者であるかアイディンティティを示す目的のみで自己紹介をしていました。

余計なことは言いいません。


対して、

就職の面接で良く使われるフレーズの一つに、

「自己PRをお願いします」

なんて質問がありますが、

最近の自己紹介はそれに他なりません。

文字どおり自分をPRする(public relations=売り込む)ことが目的となっています。


自己紹介を自己PRとして考えると、

何も改まった場面でのみするものではなく、

はじめてあった方にするものだけとも限りません。


例えば知り合いに、

「関上さんはどんなお仕事をなさっているんですか?」

と聞かれたとき、

ただ「アスレティックトレーナーです」

と答えるのではなく、

自分の経験や能力などを最大限に伝えることが大切といえます。


後者の方が自分にとっても、

相手にとっても有意義です。



私も経験ありますが、

面接などで自分をPRすることが結構難しく感じる方も多いかと思います。

自分で自分のことをほめる事が、

なにか美徳に反することのように感じる事が関係しているのではないでしょうか。

謙虚と消極的では意味が異なります。


自分が努力してきたことは、

自分の心の中に秘めておけばいいと考えもあります。

口で話すのではなく行動でしめすんだと。

しかし、

サッカーでどんなに強いシュートが蹴れでも、

ボールのある所までいけないと意味が無というように、

能力を発揮できるシュチュエーションは必要です。

自分が能力を発揮しやすい状況を作り出す努力が、

能力を向上させる努力と同じかそれ以上に重要ということです。


人に認められたり、

好感をもたれるような自己のPR能力は、

どんな仕事をしていても必要です。


もちろん、

自身に根拠のある実力あってのことですが。


練習あるのみです。


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本文と写真は一切関係ありません。

私の散歩コースの川です。





| ことばあそび | 23:51 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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透き通るような空と「空目」

朝、玄関を開けたら、

めちゃくちゃいい天気でした。

今日のような気候が一番好きです。

雲ひとつない快晴で、

風もなく、

朝は肌寒いんですが、

日向では長袖のTシャツ一枚でもぽかぽかしている。

まさに今日がそうでした。

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快晴というのは気持ちいいものです。




最近「空目」という言葉を耳にしました。

空耳というのは良く耳にします。


ネットで調べると、

『ある単語を字体の似た、あるいは文字の順番の異なったものと見間違える行為をさす』

という意味のインターネットスラングだそうで、

最近そのような意味で使い始められたようです。


UFJ(銀行)とUSJ(遊園地)を見間違えるようなことでしょうか。



さらに、空目という言葉じたいは平安時代からもともとあり、

『見えるはずのないものが見えること』

だそうです。

空目という言葉がもともとあったということにも知りませんでしたが、


平安時代の人はなにが見えたんでしょうか。



なんか怖いッス


| ことばあそび | 23:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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最近の子供の名前

3月に入りました。

行く1月

逃げる2月

去る3月

と言いますので、3月も時間を有効に使っていきたいと考えています。


今日yahooニュースのトップページに、

最近の子供の名前は特殊なものが多く、

小学校の担任の先生も読めないような名前が沢山あるとの記事がありました。


ここで実例を挙げることは控えますが、

そのサイトではいくつかの実例を挙げて記事にしていました。

およそ日本人の名前とは思えないものばかりです。


私自身、自分の名前は多少古風だと思うのですが、

皆さんに覚えて頂きやすく、気に入っています。

また、小さい頃に名前について周りの友達や、大人たちにいじってもらったりした経験が、

今の社交的な性格が形成された要因であると考えています。

さらに、大人に受け入れて頂きやすい名前だったと自己分析しているのですが、

小さいころから大人の方と自分の名前をきっかけに話をすることが多く、

理屈から入りたがる性格もそのような経緯をへて形成されていると感じます。

そういった意味では、現在の私自身を形作った要因のなかで「名前のもたらした効果」が多くを占めていて、私自身のアイディンティティとは名前であるといっても過言ではないかもしれません。


両親が自分の子供のために付けた名前は、

その子供を形作る要因であるといえます。


今回の記事にあった一見奇抜な名前も、両親が子どものためを思って付けた名前だと思うので、

将来の子供にとって良い影響を与えることが出来るといいですね。



赤ちゃんの呼び名として考えると、記事にあったような奇抜な名前もかわいく感じますが、

20歳、40歳になった時にはどのような影響をあたえるのか興味深いです。



そのような観点から言ったら、

私の両親はセンスが良かったのではないかとブログの更新をしながら考えています。







| ことばあそび | 18:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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題名をつける事の本質

昨晩テレビを見ていると、

読売ジャイアンツのある選手が、

「ツイスト打法」なるバッティングの打法に、今OFFより取り組んでいるとの内容で番組を放送していました。

ツイスト打法については簡単に以下のような説明をしていました。

上半身のスイングする方向とは反対方向に、下半身(映像では腰の周辺)を捻りながら打つ。

その選手が新しい打法に取り組む目的として、

インパクトの瞬間に身体が開いてしまう悪い癖の修正をあげ、

ステップする側の前脚側に壁を作るイメージで開いたり突っ込んだりせずに、ボールへパワフルに力を伝えたいと説明していました。



ツイスト打法の例として、チームの先輩のバッティングフォームを挙げて説明をしていました。

ただしツイスト打法といっても、

当たり前ですが、下半身も投手から見て打者の臀部が見えるほどインパクトの瞬間にスイングと反対方向に捻っているわけではありません。

身体を開かずに、タメを作ってインパクトする。ということは以前からいわれてきた事と同じです。

例に挙げられた選手も単純に、開いたり突っ込んたりせず効果的な良いポイントでインパクト出来ているといった意味でも良い例だと言えます。




例えば、インパクトのタイミングで身体が開いてしまいしまう癖を修正する事を目的として指導者が選手にアドバイスする際、

目指すにゴールが同じ場合でも

指導者からのキューワードは複数のものが考えられます。


腰を捻るな

前脚側に壁を作れ

突っ込むな

インパクトの瞬間は前足の爪先を投手方向に逃がすな

後ろ足の付け根でボールを押すイメージをもて


そのなかのひとつに、

上半身のスイングする方向とは反対方向に、下半身(映像では腰の周辺)を捻りながらインパクトしなさい。

というアドバイスも当然考えられます。



簡単にいうと、

「腰を止めろ」と、

「腰を捻れ」が同じ動きを表している可能性があります。

どちらのキューワードを使うのが選手に良い影響を与えるのか、という問題になって来るわけです。

この辺りが、スポーツや医療の現場で身体操作を指導するうえで難しく、

また、やりがいを感じるところではないでしょうか。



人は自分自身の身体操作以外経験することは出来ないですから、

経験や引き出しや知識以外に、

指導者としてのセンスが問われる所であるといえます。

| ことばあそび | 21:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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便座を温める発想

今日はすごく寒くなりましたねー

今働いている、大学のトレーニングフロアのトイレは間接照明で、

額に入った絵が飾ってあったり、まるでホテルのトイレみたいに豪華です。

便座がめっちゃ温かく、落ち着きます。

日本の便器はハイテクで、よく外国出身の方が驚いたりすると聞きまが、

マドンナが、日本についての質問に「日本の温かい便座が懐かしい」とコメントしたことは有名です。

洋式のトイレを、日本人が進化させたと聞くとなにか嬉しい気持ちにさせられますね。


最近、大学のトレーニングフロアで働かせてもらうようになって、

その大学には留学生が非常に多く、人生で一番外国出身の方と会話をしています。

そんななかで、留学生と日本のトイレについて話をしました。

「日本のトイレは凄い!」なんて誉めてもらえると思っていましたが、

「驚いたけど、気持ち悪い」と言われました。

ヨーロッパ出身の学生の話によると、そもそも家の中が暖かいから便座は冷たくて良いと。

さらに、日本の家の中は寒いとダメ出しされました(笑)

確かに日本でも北海道などでは、暖房の設備と断熱を目的とした建築技術により、冬でも家の中は半袖のシャツでも大丈夫なほど暖かい。と聞いたことがあります。

便座を温かくするという発想は、

もしかしたら、一年の中で寒くなったり暑くなったりと、明確な四季がある
日本だからこそ生まれたのかもしれないと考えさせられました。

夏が暑いから家の暖房能力は進化しづらい反面、

冬は寒いから便座を温めたい。



便座の話が長くなりましたが、

トレーニングの世界も同じです。

既存のものをより良くしていく発想が、

その発想をつねに模索し続ける気概が大切だと感じました。


私はどちらかといえば理屈から入るタイプなので、どうしても新しい物を否定的に見てしまう所があります。

常に本質は捉えつつ、新しい発想を恐れないで日々活動していきます。



日本の便座は素晴らしい!!

| ことばあそび | 22:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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